和歌山県田辺市上秋津の周辺は古くから秋津野と呼ばれています

現在「秋津野」という地名はありません。

広辞苑には、「あきず(あきつ)とはトンボの古名、秋津島とは日本国の異称。
@古代奈良の吉野離宮周辺の野。A和歌山県田辺市の北の野。」と記されています。

万葉の歌人、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が、秋津野を詠んだふたつの歌を紹介します

「人生無常やのう 人国山の秋津野のカキツバタみたいに目にしみるあの娘 夢に見らいしょ」

平安時代の末頃から、熊野三山の信仰がだんだん盛んになって、上皇さんや、法皇さん方が、二百人も三百人ものお伴を引連れて、京都からお詣りするようになりました。あるいての長い旅でありますから、所々休みながら、休む時には必ずお熊野さんを遥拝しながら歩きました。その遥拝所が、王子さんで、大阪からお熊野さんまで、百ほどもあったようです。田辺では元町の出立王子で、きっと泊って、塩ごりをとって身を清め、いよいよ海岸からはなれて、進んできました。秋津王子で遥拝をすませて、秋津野を東へ進んで行く時、北側に高雄山や三星山が見えたでしょうし、秋はもみじで燃えるように美しかった人国山の眺めが、旅のなぐさめになったでしょう。ここを通る毎に宮人たちが、よみ残された歌が、万葉集や古今集にのせられてあります。


「秋津野の尾花を刈り添えて、秋萩の花といっしょに、あなたさまの仮廬の屋根をお葺きなさいまし」

 八百年も前のこの時分には、秋津野には、尾花や萩が茂っていたのでしょうか。